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Ryu
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カテゴリ:デザイン・アート の記事一覧

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抱負 2009.01.09


遅ればせながら
新年あけましておめでとうございます。
今年もまったりと日々の考え事等を綴っていこうと思っています。
よろしくお願いします。


昨年1月時点での目標は、大学の制度上の進学先振り分けで、第一志望に通ることでした。
努力の甲斐あってかその目標はなんとか達成することができました。
やりたいことをやる環境を手に入れた今、また新たな目標がたくさん見えてきました。
それらをあえて「今年の目標」としてまとめるならば、

・好きなことをとことんやり通すこと
・好きなことをとことん好きになること
・途中で絶対に投げ出さないこと
・視野を広げること

はじめの3つは達成できます。できると確信しています。笑
問題は4つめで。
これは何かを専門的に学ぶとなると必ずついて回る問題だと思うのですが、
専門化することで好きなことについて深く学べるのはとても嬉しい。
でも、専門化しすぎて視野が狭まってしまうのはとても怖い。何よりも怖い。
専門課程に進むというのに専門化を恐れるとは何事か、と言われても全然仕方がないことだと思います。
でも、デザイン―――広義の「デザイン」に関わる道へ進みたい自分にとって、たとえ建築が好きで建築に興味があろうと、建築のことばかり頭に入って肝心の、広義の「デザイン」をする上で必要になるであろう広い視野を失うことになっては困るのです。
好きなものは好き。でも一辺倒になるのは怖い。
目でいうと、近眼になってしまいそうじゃないですか、専門化しすぎると。
もちろん専門的知識は得たいですし、将来の自分にとって必要不可欠なことだと思います。
でも、「常に広い視野を持つことを心がける」・・・このことを忘れないように勉強に励みたいと思います。
クサい言い方になってしまうけれど、
手の届くところ、目の届くところから既にデザインは始まる、と思うので。
自分の目の届く範囲にある、身近なものに対する興味。
これを失ってしまったらおしまいだと思うので。

建築一筋、かといって建築一辺倒にならないように、がんばるぞ!



いずれにせよものすごく勉強しなくてはいけないことだけは確かで。
多くの大学と違って自分の大学は専門課程が始まるのが遅いので・・・
2年間のギャップを、ただちに埋めなくてはならない。
いやあ。頑張ります。もちろん大学生活めいっぱい楽しみながら!


相変わらずの自分ですが、
今年もよろしくお願いします。


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デザインとかについてぐだぐだと 2008.12.02


デザインをする上で、言葉に縛られるのはよくない。
でも、やっぱり言葉って大事だと思った。
ぱっと見ただけで全ての意図が伝わるデザインなんてあるはずがなくて、意図を全部伝えようと思ったら言葉で補わなくてはならない。
もっとも、そんな機会、講評会でちょろっと喋ったりする自分ら学生くらいにしかないんだろうけど。あとは本書くとかインタビューで答えるとか。


どんなものも完成してしまえば無言になる。
どんなに複雑なものも、難解なものも、無言になる。
その無言の中からでも伝わる「何か」があってこそ、人はそこに惹き付けられるんだろう。
デザインは語る、とかいうけど、そういうことなのかな。

自分は、その伝わる「何か」の中に、「デザイン意図」っていう、言ってしまえば独りよがりなものが入っていなければいないほど良い。と思う。
デザイン意図うんぬんより大切なものがある気がする。うまく言えないけど。
だってデザイナーの意思がどんなに詰め込まれてても、なんだか、意図された美しさを越えることはできなさそうじゃない?と思ったり。
勝負するべき「何か」はもっと他のところにあるんじゃないかなあ、とか。
だって、デザイン意図が良いデザイン→良いデザイン は成り立つけど
良いデザイン→デザイン意図が良いデザイン は必ずしも成り立たないじゃない。
偶然生まれたものがとてもすばらしかったりするし。
うん、だから何が言いたかったかっていうと
デザイン意図うんぬんは良いデザインたる必要十分条件ではないんじゃないかっつーことです。はい。
デザイン意図の必要性を否定してるわけではない。


じゃあ本当に良いデザインってどんなデザインだろう?
個人的には、デザイン意図が感じられるとかデザイン意図が反映されているとか、そういう問題じゃないと思うんだ。
さっきも言ったように、無言の中でも何か語りかけてくるような、にじみでてくるような
そんな良さがあるんじゃないかな、本当に良いものって。
うん、それだ。にじみでる何か。
語りすぎるデザインはあまり好きじゃないんだ。
良さを理解するためにたくさんの言葉が必要なデザインも好きじゃないんだ。
他のものが入ってこられないくらいのたくさんの意思/意図で塗り固められた自己主張の激しすぎるデザイン、これが一番嫌いだし、そういうデザインの仕方が一番好きじゃない。
やわらかい発想力が欲しいです。



言葉について書くはずが思いっきりずれてしまった。
エスキースで「伝えることの難しさ」を再確認したので、その辺のもやもやをとりあえずばーっと書き出してみた次第です。


本当に良いデザイン 2008.09.23

テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

足掛け三週間、例のプロジェクトに参加したわけですが
先日無事に終了しました。
正直かなりきつくて、同じ班にいた唯一の日本人も途中で辞めてしまって
話し合いは毎回難航したし、そもそも母国語が使えない中での踏み込んだ話し合いは相当きつく
ましてや途中で外国の院生同士が大喧嘩を始めたりするもんだから、仲介役の自分の心労は(自分で言うのはなんか嫌だけど)本当に半端なかった。
正直言うと20代後半にもなって単純なグループ作業に支障出るほど協調性ないのってどうなんだよ・・・とか思ったけど
だってグループ作業っていう名目なんだからさ、皆で一つのものを作り上げていくんだったら意見交換の場は必要でしょう。グループ作業なんだから。
そこで「自分の考えをデザインに反映させたいから話し合いなんてしたくない」ってどうなの。っていう。
まあいい勉強になりました。いろんな人がいるんな。


きつかったけれど、楽しかったのも事実で
参加していた三週間は本当に毎日充実していました。
参加者は一部を除いてみんな自分より年上で、特に外国の学生は若くても25とかで、スキルも考え方もすごくしっかりしている。
技術的な意味でも社会勉強の意味でもすごく得るものが多かった。
外国の友人もたくさんできたし、建築家さんとも知り合えたし。
打ち上げは国籍の差や学生・院生・教授・建築家の差なく楽しくバカ騒ぎできました。
いやー。楽しかった。


個人的にだけど
いくらデザイン能力高くて考えがはっきりしてても、自分以外の他人と微塵も心を交わせないってのは、
衣食住の一端を担う建築家の卵としては致命的ではないかな。
建築や服飾みたいな、人に寄り添う(べき)デザインは、アートとは別に考えなきゃだめだと思う。
そりゃ独創性も大事だし、自分の考えをうまく形にするスキルも大事だ。
でもデザインする側がそれを使う人との関係をぶったぎってかかっちゃあもうおしまいだと思う。
確かにそうやってできた建物も服もある。美しいものだってある。
でもそれはたとえ造形的に美しくても本当に良いデザインとは言い難いと思う。


建築や服飾や製品のデザインは、芸術性より独創性より何よりもまず、それを使う人にやさしいデザインであることが大前提だと自分は思う。
デザインをする以上、自分の思ったようにデザインをしたいと願うのは当たり前のこと。
でもそれだけでは本当に「人のために」良いデザインには辿り着けないと思った。


伝えたいこと 2008.09.10


怒濤の一泊二日ドタバタ旅行から早数日、
ずっと例の外国人学生とのプロジェクトでどたばたしていて休む間もない、。
いよいよプロジェクトも中盤に差し掛かりました。
まだ2週間目だし先は長いけど、本当にたくさんのことを学んだ。
新しい発見ばかり。驚きの連発だ。



2日前、初めての全体セッションがあった。
日本側と海外側総勢25人でのグループプレゼンテーション。
始まって早々、海外の学生のドローイングのレベルの高さに唖然。
いやむしろ愕然とした。
なんだ、デザインが秀逸すぎる。
調査結果を報告するだけのプレゼンなのに、
日本の学生だったらエクセルで図表を作るのが普通なところを、海外の学生は、おおげさじゃなくてそのままTシャツとかのプリントに使えそうなくらい素晴らしい見栄えの図表にしてくる。
なんかもう、別世界!
大学でよくあるような普通のプレゼンを想定してたから、もう開いた口がふさがらなかった。
前々から教授に「海外の学生のデザイン能力には驚くと思う」とは言われていたけれど、予想を遥かに上回るすごさで。
きみたち実は学生じゃなくてプロのグラフィックデザイナーでしょう?という。
CADも、ただ使いこなすだけではなくもうデザインがやばい。うまく言葉じゃ伝えられないけど。
なんかもう、日本の学生との差にがっかりした。
デザインスキルの平均が高すぎるって。
同じグループの海外学生もその例に漏れず。同じグループで自分だけスキルねええええええ



終始そんな感じで、自分は海外の学生の発表にただただ圧倒されるばかりだったんだけど
海外サイドの教授はそんな秀逸なドローイングを目にしても
「うまいのは認めるが伝えたいことが伝わって来ない」と一蹴だった。
秀逸なドローイングもない、なんとか英語を滞りなく話せる程度の自分はどうしたらあああああああ と
はらはらどきどきしていたんだけれども
蓋を開けてみれば、すごく評価していただけた。
自分の表現手段は、まあ媒介からして奇抜だったと思うんだけど(空気を読まずに3DCGアニメーション)(趣味全開)(しかもexe.氏の大幅な助力に依るもの)
確かに、ストレートな表現手段ではあったと思う。余計な装飾もなく。そこが評価されたらしい。
「君のプレゼンは、伝えたいことと表現手段がシンクロしていた。だから言いたいことがまっすぐ伝わってきた」
そんなことを言っていただけた。
いつもお世話になっている日本サイドの教授の、「伝えたいことがあれば必ず伝わる」という言葉がまた身に沁みた。
いや、一昨日のことを踏まえて訂正するべきか。
「伝えたいことは、正しい表現手段を用いれば必ず伝わる」



でも、海外の学生のデザインスキルは大幅に見習うべきだと思った。心から。
製作環境は大差ないはずなのに、なんだこの次元の差は。
シンプルイズベストとはいうし、実際教授側もデザイン性の高さは求めてなかったけど(今回はデザインの課題ではないからね)
建築やデザイン方面の道を志す者として本当に見習うべきだと思った。
同じ班員(海外の人)のすばらしいドローイングをもらったからそれを参考にいろいろ練習してみようと思う。
スキルアップしなきゃなあ。


path 2008.09.03


今日は例のプロジェクトの班で集まって自主ミーティング。
二日連続英語漬け。うひい。


デザインの前段階のフィールドワークとして、都内の某大型複合施設を調査しています。
そこは 実は小学生の頃住んでいた街にほど近いところにあるんですが
今も相変わらずのカオスっぷりで。懐かしさと同時に、年月を横すべりしてきたような妙な感覚も覚えた。
そこでは、古いものと新しい物 普通のものと明らかに普通でないもの 一般の客、観光客、その筋の「通」、家族連れ、カップル・・・
様々なものが入り乱れている。
「いろんなものが溢れてるけど雰囲気的にはサブカルチャーな感じで統一感がある」
というのがおそらく一般的な受け取り方だと思うし、事実自分もそう信じてやまなかったのだけど
二日間実際に人の流れとかを調査してみて思ったのは、実は全く統一されていないのかもしれない、ということ。
確かにいろんなものが共存している空間ではあるんだけど、そこにいる人たちは皆自分の目的地、興味の対象のところへまっすぐ向かい他のものを無視している。
というより、明確な目的をもってこのカオスの中を移動している。
カオスだというのに、人の流れは意外と固定的、直線的だ。
この場所に慣れていない見物客である自分たちは、物珍しさゆえにいろんな店に立ち寄ったり注目したりするけれど
そこにいる人たちの直線的な動きの中ではかなり浮く。
いや、観光スポットだし、見物客は多い。
でも見物客か常連かは一瞬で見抜ける。
見た目のカオスさに釣り合わない、至極単純化された人の流れ。
外見や店の配置的には間違いなくカオスなんだけど、もしかしたらカオスという表現すら不適切なのかもしれない。不思議な場所だ。


今日感じたことをもう一つ。
話し合いを進める中で意外だったのが、海外の学生さんたちは議論をするときにすごくシステマティックにアプローチをするということ。
偏見だけど、もっとアグレッシブに考えをぶつけ合うような議論の仕方をするんだと思っていた。
切り口となるキーワードを設定して、そこから一つずつ切り崩していくスタイル。
まさに合理主義。
すごく新鮮だったし、参考になった。
余談だけど、それらのキーワードは強烈に難解(その場にいた英語圏の学生も意味が理解できず聞き返したくらい)だった。
多分ジーニアスとかには載ってないね。リーダースならぎりぎり載ってるかな。
日本人でやたら難しい言葉を好んで使う人がたまにいるけど、あの類かな。
語彙力増えるから嬉しいけど、ちょっとマニアックすぎかな。苦笑


次のミーティングまでにやることも決まったし、早速プレゼンの準備を進めていく所存。
明日は久々に運動してきます。
その後は1日か2日旅に出てきます。


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