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Ryu
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2008年12月 の記事一覧

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ゲームから学んだものづくりの姿勢 2008.12.31


久しぶりにゲームの話でもしてみようと思います。
最近は全然プレイする時間を取れていないのですが、
何を隠そう自分の創作活動・・・いやむしろ思考(?)など全ての根源にゲームは深く関わっている。もしかすると人格形成にも。
絵を描くのも文章を描くのも空間について考えるのも全部。
特に3Dのゲームに触れるようになってから、空間についての考え方、空間の捉え方が変わったというかなんというか。
大げさだと思われるかもしれないけれど、自分的の中のかなり重要な一部分を占めているんだよなあ。ゲームで培ったいろんなことが。
たかがゲーム、されどゲーム。
一つのゲームの中には、いろいろな風景、いろいろなキャラクター、いろいろな事件・・・とにかくいろいろなものが詰まっていて。
たかがゲーム、なんだけれども、自分がゲームをやることによって(まあ誰かにプログラムされたものではあるけれど、感覚的には)主体的に関わったさまざまなものは、うん、気持ち悪く思われるかもしれないけど、ひとつひとつが思い出なんだよな。
単にストーリーに感情移入したとかあのキャラが好きだとか、そういうミーハー心を越えるような何かを、自分はゲームから学びました。
ものをつくるということの姿勢とかね。
ゲームを作るということは「世界」をつくることだと思うので。
そのデジタルな「世界」は、容量とかの制約はあるけれど、作ろうと思えばどこまでも拡張できる。どこまでも作り込める。
どこまでも続く人口の「世界」、そこに入り込むプレイヤー・・・そしてその「世界」を作る様々な人々。
プログラム、シナリオ、CG、BGM、動き、・・・
何もないところに全く新しい「世界」を作れるということ自体に小さい頃の自分は非常に惹かれた。尋常じゃないくらい惹かれた。
空間デザイン、建築(ゲームの中には様々な建物が登場します、現実ではありえない建物も)、3DCG、プログラミング、絵、音楽、今の自分の原点といっても全く過言じゃない。
独力でゲームを作るという壮大な夢は志半ばであきらめてしまったけれど、ゲームはまだ幼い自分に「何もないところから何かを作ろう!」と意気込むきっかけを与えてくれた。


さて、あまりゲームをしなくなった今の自分はというと
しいて言うならグラフィックにうるさいです。
でもグラフィックの美麗さにうるさいのではなく、
・いかに作品の雰囲気作りに貢献してるか、
・ある種の「粗さ」
等にこだわりがあります。
むしろ最近のゲームの「ほらすげー美麗グラフィックだろ、すげーだろ、じゃあPS3買えよ」 的な傾向が苦手で苦手で。
もちろん綺麗なのは認めるし、むしろ技術の進歩に驚くばかり。
一昔前のと比べると違いは歴然。
よくあんな手間暇かかったものをたったの7000円で売れるなあと。赤字にはならないのかと。


どんなにCG技術が進化しても、空間をゼロから作ることはむりだと思うんです。
たしかに昨今のCGの技術的なクオリティの高さはすさまじい。
最近のゲームってどれをみても綺麗だしきめ細かい。
でも、同じように見えるのが多い、とも思います。
綺麗すぎて逆に現実味がなくなってしまっているようなものも多々見かける。
ただでさえ同じように見えるのに、差をつけるべきユーザインタフェースもみんな似たようなのばっかで。


まあユーザインタフェース云々は自分の個人的な趣味なので置いといて、
やっぱりその世界のあたたかみないし冷たさがじーんと伝わってくるようなCGが好きなわけです。
CGというのは、所詮は手段だと思うんです。 本当に大事なのはその前段階だと思う。
技術が進歩したからって肝心の雰囲気作りを怠っちゃ、どんなに綺麗でもうすっぺらなCGになっちゃうんじゃ、と思うのです。
だからどちらかといえば
現実のリアルさを追求するよりも、むしろ「全てを表現することは無理」という欠点を活かして、表現したい世界観をよりリアルに表現する方が好き。
不自然にすべっとしたCGよりは、写実画が動いてるようなCGが好きです。
リアルではないんだけど、一枚絵の中に入りこんだみたいな感覚が好き。
最近のだとFALLOUTとか好きです。ちょっと前のだとサイレントヒル3がかなり好みです。 FF9やクロノクロスも。
FF9みたいに、3Dからあえて一枚絵系の背景に戻す心意気、好きです。
トゥーンレンダリングが活きているゲームも好きです。
風のタクトとか、あとちょっと変に動きが粗いのが気になるけど立体ポポロクロイスも当時にしてはかなりなめらかで感動した。
メガテンもイラスト原案の金子さんの絵をリアルに再現した感じで良い。


とりあえず、昨今のCGクリエーターさんには
自分たちが3Dのゲームを初めてやったときの
「うわあ!なんだこれ!!!!奥に進める!!!!!!すげえ!!!」
という純粋な驚きを忘れないでCGを作ってほしいです。
偉そうに言うなという話ですが、これからの世代の人って今の超美麗グラフィックが当たり前みたいに思っているのも無理のない話だと思うんですよ。世代的に。
技術的な綺麗さが当たり前なのって怖い!


自分のゲーム評価の基準は
・世界観を演出するのに最適なグラフィックスタイル
・趣向を凝らしたユーザインタフェース
・ゲームバランスと難易度
・適度な総プレイ時間とやりこみ度
・2周目もやりたくなるか
・音楽
・ロード時間を長く感じさせない工夫
・値段(笑)

です。
真心のこもった空気感を持つ「世界」を感じられればそれでいい。
その世界のあたたかみないし冷たさがじーんと伝わってくるようなCGが好きだ。
人口の中のハンドメイド感。デジタルの中のアナログ感。
自分もそういう人間の手のもつあたたかさを忘れないようにものを作って行きたいです。
それは、大げさな話ではあるけれど、
技術が進化していく次世代へ残していくべき宿題ではないのかな、と。
その宿題というのもまた、自分より前の時代から自分の時代へと降りてきた宿題ではないのかな、とか。



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目覚めて驚いた 2008.12.29


自分はほぼ毎晩、はっきりとした夢を見る。
起きたら忘れるのが一般的らしいんだけど、自分は目が覚めたあともかなりの確率で夢の内容を覚えている。
去年現代生命科学の授業で知ったんだけど、夢というのは無意識のあらわれらしい。
なんでも、深層にまで入り込んだ記憶が眠った拍子に出てくるんだとかなんだとか。
面白いので目が覚めたとき気が向いたら携帯に夢の内容を断片的にメモしておく、というのが習慣になっているのだけど
今朝は本当に驚いた。
休日なのを良いことに二度寝をしたんだが、その間に見た2つの夢が、今までにない夢だった。

1つ目の夢(メモをもとに再現):
高校時代の教室に前で友人と話していると、授業が始まる時間になる。
教室に移動すると、そこはいつのまにか高校ではなく大学の講義室になっていて、今の学科のクラスメイトたちがいる。
そこで次回行われるテストの課題が発表される。
なんでも、紙に鉛筆で黒い丸を書いて、それをライターで燃やすと(何故か)文字が浮き出てくる、という。
家でその課題の練習をする自分。
練習するも、なかなかうまくあぶれない上に、炎の勢いが強くてとてつもなく熱い。

重要なのはここです。
今までいろんな夢を見てきたけど、ここまではっきりと「熱さ」を感じたのは初めてだった。


2つ目の夢:
大きな駅で、同行者と一緒に次の電車を待っている。
どこかで休みたいということで構内のマクドナルドへ。
そこでは「ひまわり」(?)という新しいドリンクが発売されている。
さっそく注文して飲んでみると、昔飲んだレッドジンガーというハーブティーの味がした。
飲み終えた私は同行者に「これはハーブティーのようなものだね」と感想を言った。

そう、はっきりと、味覚を感じたんです。
熱さのときもそうだけど、そのことにびっくりして目が覚めた。
今、確かにレッドジンガーの味をはっきりと感じた!
気のせいじゃない?と言われてしまったらそれまでかもしれない。
でも、自分にとっては確かな感覚だった。
夢というのは面白い。
半信半疑で始めた夢メモだけど、これからも気が向いたら書き留めていこうと思う。


空っぽであること 2008.12.26


今学期学んだこと。
以前も似たようなことを書いた気がするけど、やっぱり人との関わりというのは本当に大切だなあ、と。
内に閉じこもっているだけでは本当に良い発想は生まれない。少なくとも自分の場合は。
もちろん一人で考えて、思いつかないもどかしさに苦しんで、それでも手を動かして、イメージをふくらませていく過程が大前提としてあって
でもそれだけじゃ、アイデアはふくらむけど、内に閉じたふくらみ方しかしないのだと思う。
自分の中で完結させちゃだめだ。



自分、というものは
底知れないくらい、空っぽなものだと思う。そしてブラックホールみたいに暗闇が広がっている。
今の自分にとって「何かを作ること」とは、その底知れない暗闇の中で、出力すべき「何か」をつかもうともがいているような感じ。
新しいものを生み出そう、何かを思いつこうという、追われるような気持ちを原動力に、手を動かす。
何もない暗闇の中をあれやこれやとひっかき回す。
でもさ、何もないところから新しいものは生まれないんだよ。
仮にぱっとアイデアが浮かんだとしても、それはちょっとした断片に過ぎない。
その断片をかき集めて一つのものを作っていくんだけど、周りを見ずに一人でやっているとなんだかおかしなことになる。
なんというか、表面的/平面的なアイデアで終わってしまう。自分の場合は、だけど。
例えるなら、ジグゾーパズルみたいな。平面的なんだよね。
それはあくまでイメージでしかない。
絵を描いたりするときはこれでも十分なんだけど、デザインみたいに実際の「もの」を作るとなるとそれだけじゃ全然足りない。
本当に到達したいところはジグゾーパズルみたいな絵ではなくて立体的で明確な「もの」だ。
イメージではなくて「もの」の地点まで到達しなきゃいけない。
自力で完成させたたくさんのパズルを、今度は立体的に組み上げていく。
周りとの関係の中で、人との意見交換との中で、批評や批判の中で、慎重にイメージを積み上げて行く。
そうやって、いろんなものとの間の絶妙なバランスの上で、最終的な「もの」かたちが定まってくる。
長くなったけど、今の自分にとってのものづくりってそんな感じだ。




わかりにくい表現だらけで自分で読み返すのもやや苦痛だけど
頑張って吐き出した言葉だからあえて訂正はしないでおく。
こうやって考えを言葉にするのもまた、暗闇の中でいろいろひっかき回しているような感じがします。
人間なんてみんな空っぽだと思う。
断片的な思考でごった返しているようで、実はとてつもなく空っぽなんだと思う。
直感的に浮かんだことの残像を、もう一度つかもう、思い出そうと苦しんでいるんだけなんだと思う。
それは夢に似ているかもしれない。
眠っている間確かに見たイメージなのに、目が覚めると思い出せない。
思い出そうとしても思い出せない。
そういうときに自分が空っぽであることに気付く。
明確だったはずのイメージも目が覚めれば意識の闇の中に吸い込まれていってしまう。
思考だって同じじゃないのかな。
気を抜けばすぐに残像になってしまうし、その残像だって気を抜けばすぐに闇の中。
だからこそ手を動かして、書き留め/描き留めていくことが大切なんだと思うよ。
すぐ吸い込まれてしまうからね、思考なんて。
いろいろなことを思いつく自分の中に、思考を飲み込んでしまうブラックホールがあるなんて、矛盾していると思う。
でもその矛盾に気付くことって大切なんじゃないかな。
人はやがて忘れてしまう。
そのことに気付かないと、本当に何も残せないまま、すべてが自分の中に飲み込まれてしまう気がするよ。
全てが無意識に沈んでしまうのは怖すぎる。

Best Wishes! 2008.12.26


お久しぶりです。気がつけば20日以上経っていて驚愕。
そうこうしているうちに学期の半分が終わりました。
いやあ。大学生になって1年と半分ちょっと、こんなに充実した時期はなかった。
あっという間に過ぎたようで、でも中身はぎっしり詰まった2ヶ月ちょっと。
多くのものを見た。多くのことを学んだ。
ものをつくるということ、デザインするということを、様々な側面から見れた。
退屈な講義もあったし、苦痛以外の何物でもない勉強(自分は文系なので初修で力学をやるのは本当に辛かった)もあった。
楽しみにしていたデザインの実習も、まあわかってはいたけれど、本当に手強い。
手を抜けない性格が災いしてか、この2ヶ月ちょっとで何度も徹夜した。
ひどい時は4日連続徹夜した(適度に昼寝すれば案外大丈夫)
でも不思議と苦ではなくて、むしろこうやってぎりぎりまで追い込まれた状態でものづくりに向き合うということをしたことがなかった自分にとってはかなり良い経験になったと思う。
課題はまだまだ序の口で、これからたくさんの課題が待っている。
むしろ今は冬休みではあるけれど冬休み明け早々提出が控えているから休んでばかりはいられない。
忙しい、忙しい。確かに忙しい。でも苦ではない。
いや正直連日徹夜したりと、苦しいことは苦しいんだ。
でもそれをけろりと忘れてしまうくらい、楽しい。
良い同期に恵まれたのも大きいな。
まだ知り合って2ヶ月ちょっとだなんて信じられないくらい打ち解けた。
何度飲みに行った事だろうか。笑



もうすぐ2008年も終わってしまうね。
昨日今日は相方とイルミネーション巡りだの食べ放題だのめいっぱい楽しんだわけですが
そろそろ今年の総決算、ですな。
今年は本当に充実した一年間だった。
このブログも一年間の総決算の時期ということで、今年学んだことや考えたことを振り返ってまとめて行こうかな。
学んだこと考えたこともやもや考えていること、すべて消化してから新しい年を迎えたいです。




最後に
日付は変わってしまいましたが、メリークリスマス!
Best wishes for Merry Christmas!




このフレーズでふと思い出したけど
アメリカに住んでいた頃はVerrrrry Merrrrrry Christmasなんてカードに書いて近所の子たちと祝っていたものです。なつかしい。
ホワイトクリスマス率も高くて本当に楽しかったなああの頃は。
周りは皆クリスチャンだったし、無宗教上等の日本のクリスマスとは雰囲気が違ったなあ。
とかなんとかいいつつ日本のクリスマス独特のキラキラした雰囲気が大好きな自分です。
クリスチャンの人からしたら薄っぺらく見えるのかもしれないけど。


デザインとかについてぐだぐだと 2008.12.02


デザインをする上で、言葉に縛られるのはよくない。
でも、やっぱり言葉って大事だと思った。
ぱっと見ただけで全ての意図が伝わるデザインなんてあるはずがなくて、意図を全部伝えようと思ったら言葉で補わなくてはならない。
もっとも、そんな機会、講評会でちょろっと喋ったりする自分ら学生くらいにしかないんだろうけど。あとは本書くとかインタビューで答えるとか。


どんなものも完成してしまえば無言になる。
どんなに複雑なものも、難解なものも、無言になる。
その無言の中からでも伝わる「何か」があってこそ、人はそこに惹き付けられるんだろう。
デザインは語る、とかいうけど、そういうことなのかな。

自分は、その伝わる「何か」の中に、「デザイン意図」っていう、言ってしまえば独りよがりなものが入っていなければいないほど良い。と思う。
デザイン意図うんぬんより大切なものがある気がする。うまく言えないけど。
だってデザイナーの意思がどんなに詰め込まれてても、なんだか、意図された美しさを越えることはできなさそうじゃない?と思ったり。
勝負するべき「何か」はもっと他のところにあるんじゃないかなあ、とか。
だって、デザイン意図が良いデザイン→良いデザイン は成り立つけど
良いデザイン→デザイン意図が良いデザイン は必ずしも成り立たないじゃない。
偶然生まれたものがとてもすばらしかったりするし。
うん、だから何が言いたかったかっていうと
デザイン意図うんぬんは良いデザインたる必要十分条件ではないんじゃないかっつーことです。はい。
デザイン意図の必要性を否定してるわけではない。


じゃあ本当に良いデザインってどんなデザインだろう?
個人的には、デザイン意図が感じられるとかデザイン意図が反映されているとか、そういう問題じゃないと思うんだ。
さっきも言ったように、無言の中でも何か語りかけてくるような、にじみでてくるような
そんな良さがあるんじゃないかな、本当に良いものって。
うん、それだ。にじみでる何か。
語りすぎるデザインはあまり好きじゃないんだ。
良さを理解するためにたくさんの言葉が必要なデザインも好きじゃないんだ。
他のものが入ってこられないくらいのたくさんの意思/意図で塗り固められた自己主張の激しすぎるデザイン、これが一番嫌いだし、そういうデザインの仕方が一番好きじゃない。
やわらかい発想力が欲しいです。



言葉について書くはずが思いっきりずれてしまった。
エスキースで「伝えることの難しさ」を再確認したので、その辺のもやもやをとりあえずばーっと書き出してみた次第です。


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