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Ryu
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2009年03月 の記事一覧

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計算力をください 2009.03.08


図面描いたりCG立ち上げたりレイアウト考えたり文章練ったりいろいろやってるうちに3月も一週間過ぎてしまった。
ただいま絶賛試験期間中。明日で最後の試験です。
最後にして最大の壁。彼の者の名は構造解析!
センター物理選択じゃなかった元文系ににとっては恐ろしい強敵です。
自分はバリバリの文系人も震え上がるほど計算力のない奴なので、やり方は理解していても手を動かすのが遅い遅い。
電卓持込可とはいえ遅いったらありゃしない。
周りは自分ともう一人を除いて理系しかいないし、そのもう一人も経済系出身なので、勝ち目なんて全くありません。
さっきから目の前を「不可」の二文字がちらつきます。
やってしまうのか・・・!?2年間の大学生活にして初めての不可をゲットしてしまうのか・・・!!?
もはやテンションは上がれど頭がついていきません。

とはいえ、もう点数を気にしなくてよくなったので、この科目に関しては単位さえ取れれば御の字かな、と。
他の科目がんばる・・・とか言ってる矢先に材料学爆死したんだけれども(もう後がない


集合住宅と住まい方に関するモヤモヤはいつかのEsquireに載ってた隈研吾さんの文章を読んですっきりした。というより、とりあえず一旦飲み込んだ、といった方が正しいかな。
なんとか見通しがついてきていよいよ最後の追い込み。
明日は試験のあと数時間全力で作業して、息抜きに飲み会顔出してから帰ってまた本腰入れて作業しようと思っています。


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無意志と無関心の箱 2009.03.01

テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

いわゆる普通の集合住宅は無意志と無関心の箱だ。と思っている。
乱立するアパートやマンションを見るといつもそう思う。
昔から親の転勤が多く、何軒もの集合住宅に住んだことがあるけれど
人々の主体的な関わり合いだとか、そういうものが生まれることなんて滅多になかった。
戸建てに住んでいる現在でさえ近所付き合いらしい近所付き合いはそんなに無い。
都心じゃなければまた事情は違うのかもしれないけれど・・・少なくとも都心でそんなにあったかいコミュニティって生まれにくい。
あったらあったで、新しく引っ越してきた人たちなんかは「なんだか昔からのお隣さん同士の輪には入りにくいな・・」と感じることもあると思う。
転校生の悩みと似ているかもしれない。
「もうみんなはみんなで仲良しグループとかできちゃってるし、入りにくいな・・」等。
近所付き合いもいわずもがなだろう。入りにくいのも無理はない。


「あたたかい近所付き合いがあるといいなあ」
そう願う一方で、近所付き合いが面倒だという思いもある。
アパートとかマンションとかの集合住宅って、どうしてもあたたかい近所付き合いが生まれにくい。というか、主体的に関わり合う機会がない。
みんながアパート/マンションという箱の中の一人の住人、という単位に成り下がっている。
そういう現状があるからか、集合住宅の課題とかコンペとかで「あたたかい人間関係が生まれる住宅~」的なものがよく提案されているよね。
自分も似たようなことを提案した。そこそこ褒められたりもした。

でも最近はこう思うようになった。
もしいわゆる普通の集合住宅が、そういう人間関係的なものと無縁に生きるための場所なのだとしたら。
全員ではないにしろ、初めからそれを望んで集合住宅を選ぶ人っていると思う。
だとしたら、集合住宅にあったかい人間関係云々をって言ってる提案は、そういう人間関係を望んでいる人にしか住めない――要は住む人を激しく選ぶ住宅なんじゃないかって。
現代の集合住宅→コミュニケーション不足→もっと主体的な関わり合い以下略以下略っていう、いつか自分がやったみたいな短絡的な提案は、一部の人しか見てないド阿呆なんじゃないかって思った。
そういうあたたかい住宅が増えれば世の中あたたかくなるかなあにへらにへら、とか思ってたけど、それってどんな能天気さんだ、と。
みんながみんなあたたかいご近所付き合いを望んでるなら集合住宅側がそうなるようけしかけなくてもあったかくなるよ、みたいな
逆にいえばどんなにあったかい・・・もとい、あったかそうな集合住宅を作ったって近所付き合いしたくない人たちが住めば単なるうっとおしい家なんだろうなあ。とか思った。


みんながそれぞれ住みたい家に住む。
それができれば苦労はないよね。
自分が本当に住みたい家に住める人なんて実際はほんの一部だと思う。
結局は金銭面とか交通面とかいろんなところで妥協して住まいを選ばなきゃいけない。特に金銭面は大きいよね。
じゃあ建築ができること・・・っていうか、住宅をつくる側がするべきことって、もしかしたら
なるべく多くの人がそれぞれ自分が好きなように住まえるようなシステムをつくることなんじゃないかなとか、そういう機関をつくることなんじゃないかとか・・・
もしくはそれぞれのニーズに特化した家をたくさん作ると。
でもニーズに合わせて作ったところで、そこに住みたいと望む人が実際問題そこに住めるかっていうとかなり危ういと思う・・・
かといって「どんな人でも住めますよ☆」的なよくわからないユニバーサル方向は自分が一番嫌いなタイプ。はっきりせいや、と。
どっちみち敷居を低く、敷居を低く。というのがしばらくはテーマになりそう。
みんながみんな好きなように住まえますように!
それでいて
そう、個人主義ではなく、サンゴのように群体として生きるんです。
押し付けがましさプンプンの「群れ」ではなく、アパートやマンションのような「無意志な集団」でもなく。
繋がってはいるんだけど一心同体とはまた違う・・・そんな関係。
SNS的な、ある意味できもちわるい(否定はしてないですよ、自分もSNS使いです)一体感、過度に内輪的な関係でもなく
ネットの海にひとりぼっち!な状況でもなく
ある意味でゆるい繋がり・・・・あれ?これってなんてtwitter?笑
いかんいろいろと迷走してきた


そう、それでもね。
機関、でもね。システム、でもね。
生きているんだよ、と。
はたらいてるよ、機能しているよ、organだよ、organismだよ、機械的に機能するのではなく、生きているよ。群体だよ。
そういうことを今はやろうとしている。
まだ言葉にできないから意味不明だな。笑
まあ否が応でも再来週までにブラッシュアップせないかんのだけど!


そんなことを妄想していた夜明け前。もう夜明けたがな。
文章が支離滅裂なのはいつものことけど夜明け前は特にひどいNE!




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