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啓蒙主義モドキ 2009.04.10

テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

今日は課題のエスキスがあったんですが、本当に勉強になったのでここに書き留めておこうと思います。
課題は小劇場の設計。
ここ3日間で出来る限り多くの文献にあたってぐちゃぐちゃとスタディしていて、
まあ3日間にしてはいろいろ考えられたかな、というくらいは考えた。
それで、形とかはまるで考えていないんだけど、ある程度納得の行くくらいまでは考えがまとまって、エスキスに挑んだ。


ここに全部書いてもあれなので省略しますが、
・劇が生まれるプロセスを建築化(この表現が正しいかどうかはおいといて)できないかということ
・小劇場がまちの一部として周辺コミュニティに対して有機的に機能できないか
この2つをやりたいな、という考えがこの3日間で固まってきていて、
とりあえずの案として劇場のレベルを地上の目線からずらしたところにつくる・・・要は劇場を観念的に宙に浮かせて、劇が劇のできるプロセスに沿って空からゆっくりと日常のレベルまで降りてくる・・・みたいなことをぼんやりと考えています、みたいなことを言いました。
しかしこれに対する先生の意見に衝撃を受けたんです。それこそ自分の根本にあったものがひっくり返されるような。
案を否定されたわけじゃないし、エスキスを通していろんな可能性も生まれてきたので、すごく実り多かったのだけど
自分は「文化的なもの」は、別に特別な存在ではなく、日常の中から生まれるもの、言うならば生活の欠片みたいなものなんだけど
日常とは違うレベルから少しずつ日常へと近付いてくるもの(うまく言えなくてもどかしい)
それが例えば劇という形で日常のレベルまで降りてくる、そういう「出会い」というイメージがあったんですね。
このイメージは自分が住んでいる街の影響をだいぶ受けていると思います。
小劇場などサブカルチャーの発信地なんですけど、特別な場所というわけではなくどちらかといえばそういった文化に気軽に触れることのできる場所だと思うんです、自分の場所は。
むしろ、その街に行くことでそういう文化を身近に感じることができる=だからその街に行く という風に、人を引き寄せる力があるんですよ。
客寄せパンダ的な意味ではなく、人が自然と引き寄せられてきているような、そんな気がします。

話はそれましたが
自分は「日常」と「文化的なもの」との出会いがすごく重要だと考えていて、
自分が設計する小劇場もただの箱ではなくそういった出会いを提供する場であってほしいという思うんです。
たとえば劇が終わったあとの役者さんとのやりとりとか、劇には興味なかったけど今日は立ち寄ってみようかな、外から覗いてみようかな、とかそういうのも含めて、小劇場は何かしら「出会い」の場であってほしいな、と考えていたんですよ。


で、出たのが前述のような、劇が空からゆっくりと降りてくるイメージ なんですけど
先生に「その啓蒙主義的な考えは気に食わない部分がある」と言われたんです。
言われて初めて気付いた。
あんなに「確かに・・・」って心から思ったのは初めてかもしれない。
先に述べたように、自分は文化は生活ありき、というかその地域の暮らしから染み出てくるもの、と考えているにも関わらず
結局のところ文化を日常とは違う、ある意味神聖なものという風に捉えてしまっていたようです。
これじゃあ、2つの軸の一つである「小劇場がまちの一部として周辺コミュニティに対して有機的に機能できないか」ということを達成できるはずがない、と。
この文章じゃうまく伝わらなくて当然かと思うけれど、本当に自分で自分にびっくりした。というかがっかりした。
考えとイメージが乖離している!!


なんというか、無意識のうちに自分の中に巣食っていた陳腐な啓蒙主義モドキとも言うべき考えに気が付きました。
こういう先入観って直接指摘されないと気付かないものだよね。
前学期も度々思ったことだけど、やっぱり人と話さないとだめだ。
どんなに視野を広く保っているつもりでも、どこか頭でっかちになってしまう。
第一、そうやって生まれたデザインが人のためになるはずがないよね、理論的にはどんなに人のためになりそうでも。
第三者の目は本当に大事。でないと近視みたいになっちゃう。
気をつけよう。本当に勉強になった。


次回のエスキスは来週。
先生の話を伺ったあとは、一番尊敬している先輩に話を聞いていただいたりもして、次のステップが見えてきた。
エスキスでは自分のイメージの偏りにショックを受けたことはあったけど、案自体は好感触だったので、イメージの偏りに気をつけながら
・劇が生まれるプロセスを建築化(この表現が正しいかどうかはおいといて)できないかということ
・小劇場がまちの一部として周辺コミュニティに対して有機的に機能できないか
この2つをデザインに繋げていければ、と。
俄然やる気が出てきました。
今ぼんやりと考えているのは、昨日まで考えていたような
「劇が街へ自然に浸透していく」
というイメージではなく、
「街から劇場へ、そしてまた街へフィードバック」
という循環的なイメージ。
そもそも前述のように「文化的なもの」に対して、別に特別な存在ではなく、日常の中から生まれるもの、言うならば生活の欠片みたいなもの という風な考えをもっているので、
難しいことを考えずにそれをそのまま形にできないか、と考えています。
劇場が街に一方的に働きかけるんじゃなくて、劇場もまた街の働きかけによって変わっていくんだからね、自分の街みたいに。
とりあえずしばらくは劇場と街の、アプローチ部分というか結びつき方というか、そういうことについて考えようと思う。
「出会い」が生まれる場所にできるといいな。
よし、頑張ろう


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