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モディリアーニ展@国立新美術館 2008.06.06


国立新美術館のモディリアーニ展と、森美術館のターナー賞展に行ってきた。
アートについてはまるで詳しくないのだが以下レポ。

まず国立新美術館自体が圧巻だったね、自分初めて行ったんだけど感動したよ!
モディリアーニ展行く前に館内うろついて写真撮りまくってました。
まあそれはまた別の機会に書くとして、モディリアーニ展の感想をば。
予備知識が足りなすぎるのはご愛嬌で。あくまで感想です感想。


モディリアーニといえばあの生気のない目、細長い輪郭・・・という先入観しか持たずに入場。
招待券がすでに「ザ・モディリアーニ」って感じで、今回の展示もあんな感じの作品が多いのかな、と思ってた。
アーモンド型の目、細長い輪郭。
展示場の壁面のデザインもその作風を如実に表してて、そこが印象的だったな。
会場入り口の壁面の模様は、招待券にも印刷されてるあの女性の横顔のカタチ。
展示の半ばらへんの壁面は、アーモンド型の両目をデザインしたものだった。
普通に考えるとかなり違和感溢れる壁面だけど、あの空間にはかなり溶け込んでたなー
まあモディリアーニをイメージして作られた会場だし、当たり前か。苦笑


そう、そんな感じで入場したわけです。
展示はだいたい時系列順だったかな。
彼の作風の大きな変化に沿って展示されてました。
自分はあまり展覧会とかで作品の解説を読みながら進むのが好きじゃないんだが、今回はモディリアーニについて全然知らないのと、彼の人生が波瀾万丈だったと母親から聞いていたので、ある程度解説を読みながら進んで行った。
序盤の小さな作品たちと、目玉(多分)の作品たちについては特に言うこともないので割愛。
印象に残ったのは中盤の「カリアティッド」と呼ばれる作品群。
一体彼に何があったんだろう、と思わざるを得ない作風の大転換。
序盤から彼の独特な女性画を見てきたわけだけど、そのエリアから急に筆致が大きく変わる。
極限に近いくらい単純化された女性の体。
女性そのものの捉え方が、違う。
体のラインとか豊満さとか表情だとか、そういった次元を超越した捉え方。
彼の中の「女性」という概念そのものをキャンバスにぶつけているような、そんな印象を受けた。
何枚目か忘れたけど、全体的に青い絵。
あれが特に印象的だった。
そこに描かれていたのは、あまりにも単純化、概念化された「女」というカタチ。
解説には、カリアティッドは彼の理想美の追求の過程、みたいなことが書かれていたけど。
確かにあの一連の作品を通して、彼はより高い次元の「女」というカタチ、いわば概念そのものに近付いていったに違いないや。
次第に より構造的に、原始的になっていく作品の流れには、一種のスピード感すら覚えた。
より高い次元へ、よりゼロに近いところへ・・・


芸術、ってなんだろう。
美を追求する行為、だとすれば、目指すべき美はこの世に存在するものであってはならない。
だって美しいものはそれ自体既に完結してしまっているから。
そんなことを前友人が言ってた。多分ルノワールの話だった気がする。詳しくないからわからないけど。
モディリアーニが求めていたのは、彼の中にあった理想美、美そのもの、であって
だから「うわこんなの女に見えないし なんだこれ」とかいう議論は相応しくないんだろうね。
中高生の頃資料集で初めてこの手の作品をみたときは「なんだこれーーー」って思ってたけど、
芸術ってなんだろう、という次元から考えると、写実的か否かとかそういうことはちょっとズレた議論なのかもしれないね。
モダンアートもそうだよなー
芸術ってそもそも何よ?ということを問いかけるための手段としての芸術、という側面もあるらしいし(大学の講義で習った


そんなことを思いつつ、次はターナー展の感想書きまーす
好き放題書き散らしてすみません


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