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寝ぼけ眼でメディア考 2008.08.01


ものすごい勢いで煮詰まってきたので
頭の中の整理を兼ねてあれこれ書き散らします。
眠い、レポートもう嫌だ、模型作んなきゃ、だが眠い、ああああ。




映画にしろ絵にしろ音楽にしろ本にしろなんにしろ、作品は「作り手」と「受け手」が初めて出会う場であり。
そこでは作り手と受け手が真っ正面から向き合うことが必要なんだ。
そこにおける両者の関係性はあくまで双方向的であるべきであって、決して作り手から受け手への一方的な関係であってはならないと思うわけ、だ。
もちろん作り手による配慮も必要っちゃ必要だ、脳内設定をただひたすら垂れ流しただけの作品なんて作り手の独りよがりに過ぎないやんね。
そういう意図の(作者が自分の世界を絞り出す)作品は別だけど、
少なくとも映画みたいな、第三者に向けられた類のメディアでは、やっぱり作る側の配慮もある程度は必要だと思うのな。
あれ、でも第三者に向けられてない映画もあるかもしれないな。
・・・少なくとも、作り手がメッセージ性を持たせようと(=観た人に何かを伝えようと)意図した映画においては、独りよがりは許されないよね。


しかし、だ。本題はここから(多分)
作り手云々の前に、大前提としてあるのが受け手側の意識だと思うんだな。
受け手がメディアを前にして完全に受動的だったら、伝わるものも伝わらないと。
最近の大衆向け映画って特殊効果だのものすごい音響だの迫真の台詞回し(?)だの、観る側に与えられるものがあまりにも多過ぎる。
それは悪いことではないけど、その分受け手が自分でイメージを補完するという作業を削ってしまう。
受け手が補完する余地をなくしてしまってる、というか。
そんなんだから受け手である自分たちはメディアに対して受動的でいることに慣れてしまいかねない。
そりゃあ観たあとの感想も「迫力がすごかった」「やばかった」「すごかった」「世界観がすげー」に留まりますわな。
作り手が本当に伝えたいことが霞んでしまうよ。受け手側がしっかりしないと。
なんせ作品は作り手と受け手が真っ正面から向き合える唯一の場なんだから(以下無限ループ



あああああまとまらない。
明日までに終わらせんと死亡フラグ


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